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児童に「核兵器と人類共存できない」
国民学校5年生だった舛田さんたち
古田公民館と児童館の平和学習で

2018年08月10日

原爆投下時の体験など話した舛田さん(左)と森本さん。「皆さんも、核兵器と戦争の怖さを伝え続けて」と伝えた
 【西区】1945(昭和20)年8月6日、古田国民学校5年生だった舛田益實さん(広島市西区高須、83)と森本清人さん(中区江波、84)の2人が3日、古田公民館・古田児童館主催の「平和をつたえるおはなし会」で、児童館を利用する子どもたちと地域の大人を合わせて60人余りに、原爆投下の日とその後の体験を伝え「戦争、核兵器はあってはならない」と強く訴えた。
 その時、校庭で遊んでいた森本さんは、轟音と共に爆風で体が飛ばされた。ひどい砂ぼこりで周囲は見えなくなったが叫び声や助けを求める声が続いた。砂ぼこりが収まると、周囲の風景が激変していた。「校舎のガラスが割れ、瓦が落ち、天井の一部も落ちていた」。慌てて自宅に帰ると、母親から「うちに爆弾が落ちたから家に入るな」と叱られた。「原爆は1発しか落ちていないのに、どの家でもたくさんの爆弾や焼夷弾が自分の近くに落ちたと勘違いするほどだった」と言う。
 舛田さんは、実兄・幸利さんが建物疎開に駆り出された先で被爆死した。投下後一週間して、幸利さんの名札の付いた防空ずきんとずきんを入れる袋が見つかった。遺品は、昨年ノーベル平和賞を受賞した核兵器廃絶国際キャンペーン=「ICAN」の受賞企画として、ノルウェーのノーベル平和センターに一年間展示されている。「核兵器と人類は共存できない。自分の意志に反して人を殺さなければならない戦争戦や核兵器について私は絶対に反対する。皆さんも伝えていってほしい」と繰り返し子どもたちに話した。
 母親と参加して2人の話を聞いた市立高須小学校3年生・宮田徳丈君は、「原爆で壁がくずれ窓ガラスも割れて、家の向こう側が見える様になったことが怖いと思った」と想像していた。
 舛田さんは、「今、原爆や戦争について話す人が減っている。伝えていく必要がある」と話していた。
宮島街道ニュース

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