廿日市市市制施行30周年特集①
2018年10月05日


1988年4月に開催した市制施行を記念したパレード。国道2号線を行進した(上)熱戦を繰り広げた国体の様子(下)
廿日市市誕生し三十周年 人口全国一の町が市へ
【廿日市市】廿日市市が誕生し今年4月で三十周年を迎えた。当時5万人を越える「人口全国一の町」だった佐伯郡廿日市町が、1988(昭和63)年4月に県内13番目・全国655番目の市に生まれ変わり、商業施設の進退や交通網、団地が整備され、国体などの大イベントが開かれた。「平成の大合併」を経て市域・人口が拡大し、大きく変貌を遂げてきた。
「将来の都市」へまち並みめまぐるしく変貌
廿日市町は、佐方・廿日市・平良・原・宮内・串戸・地御前・阿品東・阿品西の9地区で構成していた。当時の町面積は約47?で、現在の市域の10分の1程度。85(昭和60)年の国勢調査によると、同年の人口は5万2020人。75年の約3万4000人から2万人弱増加した。
同町は「行政水準を向上させ、将来の都市づくり、住民福祉の増進に寄与するため」、市へ移行した。
施行後の90年代はJR駅の開所や小中学校の開校、幹線道路が開通、大型商業施設が開業するなどの一方でレジャー施設・ヒロシマ・ナタリー閉鎖など、まち並みがめまぐるしく変わっていった。
サンチェリーで「ひろしま国体柔道」
95(平成7)年に完成した市スポーツセンターサンチェリーで翌96(同8)年、「第51回国民体育大会(ひろしま国体柔道)」が開催された。天皇皇后両陛下が観戦に来場された。「ヤワラちゃん」こと田村(現・谷)亮子さんも観戦に。選手として後に五輪金メダルを取った野村忠宏、井上康生など、世界の顔が一堂に会した。
3町1村が申し入れ 合併めぐり紆余曲折
廿日市市は2003(平成15)年に旧佐伯町・吉和村と、05(同17)年には旧大野町・宮島町と合併した。3町1村が市に申し入れ、編入する形になった。
合併先をめぐり、大野・宮島両町で住民運動が起きた。大野町では、大竹市を合併先に求める住民団体が立ち上がった。大竹市との合併法定協議会設置の是非を問う住民投票が執り行われるまでに活動が発展。反対多数で同協議会は設置されず、廿日市市が合併先に一本化された。
宮島町では、廿日市市への合併を申し入れ後の町長選で、合併先を広島市に掲げる候補が当選。同市か廿日市市かで町・町議会を2分した。住民の意向を汲む形で、住民投票を実施。廿日市市917票、広島市711票で、合併先を廿日市市に決めた。
それぞれの合併時には合併建設計画を策定。同市経営政策課によると、全体の着手率は約9割で、佐伯町・吉和村は今年3月に終えているそうだ。