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球団創立70周年カープ由縁の神社を訪ね

2020年04月10日

赤色と紫色のお守りとさらに御朱印帳を作った(右下)。拝殿には、神社の名前の由来となった朝日と神功皇后に鯉を献上する様子を描いた絵馬がある
大小の「昇鯉守」が人気を集めている(右下)。メッセージボードには古葉元監督のサインが書かれていたが、熱烈なファンの思いがびっしりとつづられ分からなくなっている
 

浅野公が創建した本殿(上)正面上部には蟇股の彫り物がある
 広島東洋カープが、今年球団創立七十周年を迎えた。地域と歩み愛されている。地元西広島地区には、カープに由来した、縁のある神社がある。新型コロナウイルスの影響でプロ野球の開幕は見えない状況。開幕した折には二年ぶりのV奪還、三十六年ぶりの日本一に向け祈願してみては。

「カープの名由来の宮」
旭山神社(広島市西区己斐西町12―10)
 カープの名前の由来といわれているのが旭山神社。球団名はもとより、「己斐」という地名の発祥の神社として、「こいの宮」として親しまれている。
 伝説よると、約千八百年前の193年。同神社の御祭神でもある神功皇后が九州に向かう途中、同神社がある山で休憩したという。出迎えた地元の県主(代表者)が、大きな鯉を献上。神功皇后は「おお、こひ、こひ」と喜んだことから、村を「こひ(い)」と呼ぶようになったと伝わっている。713年の好字二字化令で「己斐」になったそうだ。
 当時、広島市のほとんどが海。同神社の建っている山は、岬の先端で目の前の海は「こいの浦」と呼ぶようになったという。
 時を経て1589(天正17)年。毛利輝元公が、広島城の造営場所を決めるため下見に同神社に登った。広島城は「こいの浦」に造った城ということから、別名「鯉城(りじょう)」といわれた。鯉は英語で「carp」。カープの名は、鯉城から名付けられたともいわれている。
 同神社はカープのルーツともいわれ、ファンの聖地にもなっているようだ。秋本将司宮司は「球場へ応援に向かう前にユニフォーム姿で参拝するファンもいる」。
 同神社には「勝守」と記し鯉をあしらったお守りがある。紫色に加え2016(平成28)年には赤色バージョンを制作。勝負事のお守りとして、カープファンの人気を集めている。新たに御朱印帳を制作。表紙には1897(明治30)年に本殿を建て替えた際に地元有志が奉納した絵馬、裏表紙には鯉をデザインしている。
 今年1月には大瀬良大地夫妻と両親が初詣に訪れたそうだ。秋本宮司は「ぜひ活躍して、今度は日本一を奪ってほしい」と願をかけていた。

「元祖カープ日本一の神社」
三輪明神広島分祠(広島市西区古江上1―376―15)
 リーグ初優勝に導いた名将・古葉竹識元監督をはじめ第1次黄金期の選手らの懐かしい写真などを飾っている。「元祖カープ日本一神社」ともいわれ、現在は休館しているが、「カープ館」があった。
 カープがリーグ初優勝を決め歓喜に湧いた1975(昭和50)年。翌年から古葉監督や選手が節分行事に参加し豆まきするようになった。山本浩二さんに衣笠祥雄さん、高橋慶彦さんらそうそうたるメンバーが参列。すると、79(同54)年に悲願の日本一に輝いた縁がある。
 長らく優勝から遠ざかっていた2016(同28)年にリーグ制覇。惜しくも日本一を逃したため、翌年、地元住民が、カープを日本一にさせようと会を発起。現在の御神水館にカープ館を設けた。
 館内には、豆まきを写した写真や選手のサイン色紙、1980年優勝時のサイン皿など約300点を展示していたという。入口には、約2m四方のメッセージボードを設置。参拝客が応援メッセージをしたためた。ファンの熱き思いがびっしりと書かれ古葉元監督のサインや大書した「連覇 おめでとう 次は日本一じゃ」が見えなくなるほど。
 2018(平成30)年の夏祭りに、同会が古葉元監督を招いたのをきっかけに、広島分詞ではオリジナルのお守りを制作。「昇鯉守」と記し、ビジター・ホームのユニフォームに合わせ紅白を作った。さらに縦約45㎝・横約30㎝の巨大版も作成。鯉が滝登りして龍となる伝説に由来し運気上昇、昇鯉=勝利から試験、仕事、病気などに戦う人に神徳を授けている。
 現在、カープ館は休館しているが、展示物の一部は社務所近くの渡り廊下に引っ越し。豆まきの様子や優勝皿、前田智徳・黒田博樹元選手や中村奨成選手らのサイン色紙が並んでいる。

鯉の木彫りに新人選手活躍祈願
湯ノ山明神(広島市佐伯区湯来町和田湯の山)
 広島藩主浅野公の湯治場として栄えた湯の山温泉にある湯ノ山明神。本殿に鯉が滝登りする木の彫り物があることから、広島東洋カープの新入団選手が訪れ活躍を誓うパワースポットとなっている。
 同明神は、江戸時代の1750(寛延3)年に広島藩主・浅野吉長公が藩事業として現在の本殿・拝殿・湯屋を建立した。現在、国の重要有形民俗文化財に指定されている。
 1976(昭和51)年の保全修理から三十年以上経ち、本殿などのこけら葺屋根や板壁などの一部が腐敗・破損したため修復した。2017(平成29)年に竣工祭を執り行った時に、本殿正面上部にある蟇股(かえるまた)のはりに鯉の装飾が見つかった縁で、翌年から新入団選手全員が毎年1月に訪問することが恒例となった。ルーキーは、玉串を捧げるなど鯉が滝のぼりするかの如く活躍できるよう祈願している。地域住民がカープ応援団をつくり、訪れてくれた選手たちを激励するため由宇練習場に出向くほど繋がりが深くなっている。
 あずま屋のそばには、地元廿日市市出身で三年前のドラフト1位の中村奨成捕手、昨年の小園海斗内野手、今年の森下暢仁投手ら新人選手が植樹したサクラ3本がある。選手たちの活躍を占うかのように、苗木だった木は少しずつ育ち開花している。
 お守りが無くなったため、昇り鯉をあしらった新しいお守りを作成中という。浅野公が創建し今年で二百七十年の本殿。正面上のはりに鯉の彫り物など蟇股がある
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